「時臣師の手記は確認したか?」
「した」
「宝石の用意は?」
「した」
「召喚の呪文は暗記しているだろうな?」
「した」
「刻印の調子は? 熱はないか? 体調管理は万全か? どこか痛いところや具合の悪いところがあるのだったらあらかじめ伝えておけ。直前にあーだこーだ文句を言われても私は責任など取ってやらんからな」
「ああああああぁぁぁぁもぉぉおおおおおわかってるッてば!!」
穂群原学園、屋上。
いつものミスパーフェクトな優等生ヅラはどこへやら、遠坂凛はむきいいいっと頭をかきむしる。
「あんたはわたしの母さんか!? 保護者かッ!?」
「む。君のような聞き分けの悪い娘を持った覚えはない」
「いいからちょっと黙っとけクソ神父。……ああ、まったく……なんだってわたし、こんなやつと十年も腐れ縁なんだろ」
それはこちらのセリフだが。まあ言うまい。火に油をそそがずとも、遠坂嬢はじゅうぶんに燃え滾っている。
「まあ、諦めるのだな。君が遠坂家頭首であるかぎり、それは不可避だ」
「もっともらしいこと言ってるけど、全然理由になってないわよ、ソレ」
そうだろうか。
「凛の祖父が、私の養父の父の恩人で、凛の父が私の養父の師で、凛は私の養父の妹弟子なのだから、これは最早私たち二人に限った腐れ縁ではないと思うがね。いわば、三代続く家族ぐるみの腐れ縁だ。腐れ縁ここに極まれり、だ」
「腐れ縁腐れ縁って連呼しないで……頭痛がするわ」
「そうかそれは失礼した。君には今日一日元気溌剌でいてもらわないと困る」
ううう、とよろめきながらも、凛は私の差し入れたオムライスをぱくぱく食べている。
「なんか不本意だけど許す。おいしいから」
「それは良かった」
「ところで、士郎。サーヴァントを召喚する際は、聖遺物が必要ってあったけど、何か用意したの?」
「たしかに、その英霊にゆかりのものを召喚媒体に使えば、確実に強い英霊が召喚できるだろう。前回も、セイバー、アーチャー、ランサー、ライダーの四組がその召喚方法を用いた。が、結果は知っての通りだろう」
ライダー以外の陣営は、ある意味、自滅である。
「強い英霊を召喚するということは、それだけ格上の英霊を召喚するということだ。そんなやつらが、魔術師の言うことをおとなしく聞くと思うか? 英霊自身の強さは、最重要事項ではないと私は考えている。聖杯戦争はマスターとサーヴァントで戦いぬくもの。結局、意思疎通できない相手に背中など預けられまい」
凛はオムライスを頬張りながら肯く。
「凛、君は優秀な魔術師だ。媒介などなくとも、高位の英霊が召喚できる。より強力な英霊の召喚を望むよりは、君と好相性の英霊を召喚する方が優先される」
「……。これでアサシンとかだったら、マジであんたをタコ殴りだわ」
「遠坂凛がセイバーを引き当てるよう、君の分まで神に祈っておこう」
「そうするがいいわ、エセ神父」
あ。
そう云えば。
「凛。私は神父ではない。れっきとした神父見習いだ」
「見習いにれっきとしたもしてないもあるの? 最近のあんたと話してると、綺礼と話してるみたいでつい口が滑っちゃうんだわ」
朝も苦言を呈したはずだが、それはとても不本意な評価である。
「いいか、凛。私は養父になどこれっぽっちも似ていない。訂正を要求すると朝も云ったはずだが」
「はいはい、ごめんごめん。あんたが綺礼と別人だってことは理解してるわ。でも、ほら、なんとなく? 口調とか仕草とか“若い頃の”綺礼に似てきたわよ」
「それは、養父が遠坂家にいた頃の話か?」
「あ、そうそう。そのくらいよ。まだカタブツだった頃の話」
その時分の言峰綺礼を、私は知らない。
――十年前の綺礼は空虚な男であったよ。
ギルガメッシュもそんなことを云っていたか。いったい前回の聖杯戦争で何があったのだ、親父殿よ。生きていてもマトモな答えが返ってくるとは思えないが。
「でも……そうね。あんたが教会に来てから、綺礼はちょっと変わったかも。うちにいた頃は、なんというか、すごく捉えどころのないヤツだった。あんたを引き取ってから分かりやすくなったわよね。綺礼のツボ」
「大悟したのだろう」
私のせいというよりは。
教会(うち)の居候のせいのような気もするが。
「あんた、よく、そこそこマトモな人間になったわよね」
「君もな」
「わたしは当然でしょ。遠坂家頭首たるもの、常に余裕を持って優雅でなければならないンだから」
「表向きは及第点だろうが、君は地がアレだからな」
「うるさい黙れ。干すぞクソ神父」
ほら、この通りである。
「神父ではなく神父見習い」
「干すぞクソ神父見習い」
「云い直して欲しかったわけではないのだが」
ごちそうさま、と云って、凛は弁当箱をつき返した。
「おいしかったわ。いつもありがとう」
「お粗末さま」
うちの居候もこのくらい汐らしいと料理のし甲斐もあるのだが。
まあ、望むべくもない。何せ相手は“王様”なのだから。比喩とか冗談でなく。美味い料理が提供されるのは当然と思っている節がある。
「――士郎」
「何だ?」
「明日、綺礼の命日でしょう? 監督役の仕事なんかしてて良いの?」
「……あァ」
なんだ、そんなことか。
「構うまい。私が監督役を務めるのはあれの遺志でもある。法要は、全て終わった後でも文句はあるまい」
「そういうとこは淡白よね、あんた」
「優先順位の問題だろう」
「いや、普通は逆にするところよ? その順番」
フムン、そういうものだろうか。
「凛は父想いだからな」
「あんただって、一年前は結構しんどそうだったわよ」
「生憎覚えていないな。都合の悪い記憶は即刻削除する主義でね」
「そうでしょうとも」
にやあと意地の悪い笑みを浮かべる遠坂嬢。
「士郎もやっぱり普通の男の子なんだなーって、わたし感心しちゃったんだから」
「私はいつだって至って平凡な男子学生のつもりでいるがね。いいからあれはとっとと忘れやがってくださいお願いします」
「なァに? 照れることないのよぉ? 士郎の恥ずかしいところなんて、数え上げればキリがないくらい貯蔵は充分だから。士郎のあんなエピソードやこんなエピソードで百物語するのも吝かではないわね」
知ってはいたが、矢張りこいつは性格が悪い。あかいあくまの異名は伊達ではない。
時臣師、あなたの娘がすっかり年季の入ったイジメっ子ですどうにかしてください。
そんなことより士郎、と私をいじることに飽きた凛が話題を変えた。
「マスターの面子は揃ったの?」
「いいや。結局、外来の魔術師はキャスターのマスターだけのようだ。それも、前回のキャスター同様、ほぼ偶然に召喚したらしいな。聖杯戦争自体あまり理解していないようだったが」
「げ。それって前回の二の舞にならない?」
「それはなかろう。前回のキャスターのマスターはあの通りだが、今回は至って普通の魔術師のようだ。神秘の秘匿に関しては問題ない」
「ふ、ふうん……あんなの、二度と紛れこんで欲しくないわね」
そう云えば。
十年前、彼女はキャスターのマスターと相対したことがあったのだったか。養父の遺品整理の際にそれを知った凛は、当時の恐怖がよみがえったのか、暫く口も利けなかった。意外と可愛いところもある。
「他に魔術師らしい魔術師はいない。……適性のある一般人に令呪が振り分けられる可能性は限りなくゼロに等しい」
今回の聖杯戦争はイレギュラーだらけである。
まずはその開催時期。本来半世紀近くを経なければ満たされないはずの冬木の杯は、わずか十年で満たされた。前回の聖杯戦争のための魔力が使いきられぬ内に、戦争が終結してしまったせいだろう、と養父は云っていた。中身を残した杯を満たすのには、さほど時間がかからなかったということか。
そして、それ故に――。
外来魔術師は、急遽魔術協会が送り込んだバゼット・フレガ・マクレミッツと、名も知らぬキャスターのマスターふたりだけ。
七人のマスターが七騎のサーヴァントを駆り、互いに殺し合うのが聖杯戦争である。
聖杯の儀を二百年以上もの間冬木の地で執り行ってきた“始まりの御三家”――遠坂、間桐、アインツベルンからは優先的にマスターが選別される。が、それぞれの家からマスターは基本的に一人ずつしか擁立されない。そもそも魔術とは一子相伝。継嗣以外の未熟な魔術使いがマスターになって勝ち残れるわけがない。それほど聖杯戦争は甘くない。
つまり、都合四名の外部からの魔術師を必要とするのである。
前回は、魔術協会からケイネス・エルメロイ・アーチボルト及びウェイバー・ベルベットが、聖堂教会から――実質遠坂時臣の支援者として――我が養父言峰綺礼が、そして通りがかりの殺人鬼である雨生龍之介が、聖杯に見出され令呪を振り分けられた。
即ち、今回は二名分の不確定要素がある、ということである。
そして最たるイレギュラーは。
――此度の聖杯戦争、あまりにイレギュラーが多過ぎる。なにやらきな臭い感じが拭えぬ。
そんなことを云ったギルガメッシュ本人であったりする。
前回の聖杯戦争にアーチャーのクラスで召喚されたギルガメッシュは、聖杯に触れて受肉を果たしのだと云う。万能の願望機である聖杯に、現世での生活を望んだということなのか――それが真実願いの内容だったとしてもおかしくないほど、ヤツは現代人の暮らしを満喫しているが。
悪性の願望機――か。
どういう願いを託せば、受肉が叶うものか――想像もつかないが。その辺について、後でじっくりギルガメッシュを問い質してみるべきかもしれぬ。
正直云って、わからないことだらけである。
魔術師が神秘の秘匿に命を賭けているとはいっても、こういう重要な情報はできれば確実な方法で後の世まで伝えて欲しいものだ。その伝達が疎かになったせいで、私や凛がこうして四苦八苦せざるを得なくなる。勘弁して欲しい。
「キャスターのマスター。協会から派遣されたランサーのマスター。マキリから間桐慎二が出て、アインツベルンからもひとり出る。遠坂からは君が。……矢張り、二枠埋まっていない」
「魔術協会から来た魔術師って、ランサーのマスターなの? もうわかってるんだ」
「古い知り合いでね。一週間前に接触済みだ」
「そ、そう……あんた、そういうところは積極的よね」
「監督役として、聖杯戦争を安全かつスムースに運営する義務があるからな」
それはそれとして。
「冬木の管理者として、令呪が宿りそうな人物に心当たりはないのかね?」
「わたしじゃなくて聖杯に訊いてよ。というか」
凛は半眼で私を睨みつけた。
「令呪が宿りそうな人間が、今、わたしの目の前にいる件について」
私がマスターだと?
「冗談も大概にしたまえ、凛。私は魔術師ではないし、聖杯などに興味もない。君たち御三家が始めたお祭り騒ぎに首を突っ込むほど野暮でもないのでね」
「あ、なんかすごいムカつく」
「そもそも教会は中立だぞ。監督役がマスターになってどうすると云うのだね? そんなのに監督されているなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。出来レースの当て馬など御免だと、私なら思うがね」
「……。令呪って、本人の意思とは無関係に配られるものなんだけどね」
顎に手を当てて考え込む遠坂嬢。
「ま、前回のときは、璃正おじさまが正式な監督役だったわけで……綺礼が監督役を継いだのも、サーヴァントが死んでからだっけ。そうなると、一応監督役は避けているのかしらね……」
「さァてね。少なくとも、目下、私に令呪が宿るような気配はないな」
じっと私を見つめていた凛が。
徐に私の右腕をつかんで、断りもなく袖をまくりあげた。
「一、二、三、四、五、六、七――八画。やっぱり増えてないのね」
「凛。淑女がいきなり男性の腕を取って肌に触れるというのはいかがなものかね」
「あんた神父見習いでしょ。この程度のことで変態的なことを連想したあんたこそ、神サマに懺悔するべき。あ、士郎、もしかして別の場所に隠してる?」
「隠していない。……だから、令呪など宿っていないと何度云ったらわかるのか」
まったくこのお嬢さんは。
「凛。相手が私だから良いようなものの、一般の男子学生に今のようなことをしたら、相手が即死してしまうぞ。君のうっかりのせいで被害者がいたずらに増えることは、本意ではあるまい」
「はいはいどうせウチはうっかり遺伝子を保有していますよ。……てゆうかこのくらいで何なのよ。ばかなの。しぬの」
「私は君の将来を心配して忠告したまでだよ」
「エセ神父見習いに心配されるほど零落れたつもりはない」
凛とのこうした他愛ないやりとりは、教会での理不尽な生活の中で唯一とも云える癒しである。凛がクソ親父の妹弟子でなかったら、十年間耐えられたかどうか。この幼馴染には頭が下がる一方である。
もっとも、そんなことを面と向かって云えば、このあかいあくまは一生そのネタで私をいじるに決まっているので、云ったことはない。
「ときに、凛。禅城の家には連絡したのか?」
「お正月に帰ったときに、大体のことは話してあるわ。あのひとたちだって、魔術師の家にひとり娘を嫁がせたくらいよ。魔術回路こそないけど、魔術師という生き方をよく理解してる。おじいちゃんもおばあちゃんも、ある程度は覚悟してると思うわ」
「……そうか」
禅城家は、凛の母方の祖父母にあたる。
父を前回の聖杯戦争で亡くし、母が心神耗弱状態である凛は、十年前に祖父母である禅城の家に引き取られた。無論、魔術師としての後見は言峰綺礼が務めていたのだが、我がクソ親父殿は仕事柄海外出張が多い。年端もゆかぬ娘が、広い屋敷に保護者もおらずひとりで暮らすのは物騒だろう――ということで、凛は禅城の家に預けられることとなった。前回の聖杯戦争が始まる前から父の言いつけで禅城の家に起居していたので、凛にとってはそのままの生活の継続に過ぎなかったが。変化と呼べるほどの変化ではなかったせいか、大して苦もなく受け入れられたと凛は語った。
それには、おそらく、父の死と母の不在も含むのだろう。
祖父母宅での平穏な生活に終止符を打ったのが、二年前。
遠坂凛は、高校進学と同時に冬木の家に帰って来た。
それは、無論――。
聖杯戦争の準備のためでもある。
「凛」
私は思わず。
幼馴染の横顔に声をかけた。
「――死ぬなよ」
凛は振り向くと。
「いざとなれば、助けてくれるンでしょう?」
にやりと笑みを浮かべた。
「頼りにしてるわよ、監督役さん」