「ねえ、リーチェ」
「なァに、ルキーニ」
「どうしてリーチェは、父さんのアマンテなの?」
「あら……そんなこと、どこで聞いたの?」
聡明そうな少年の瞳が我が意を得たりと輝く。
「クリスティーナが喋ってたよ。リーチェのこと、アマンテアマンテって。リーチェはアマンテって名前じゃないのにね」
「そうね……」
なるほど。
この少年らしい、実に素朴な感想だ。
「アマンテって何?」
そして――。
好奇心旺盛な少年らしく、そう尋ねてきた。
「そうね」
私は曖昧に微笑む。
少年の満足のいく答えを頭の中で編み上げながら――。
「家族ではないけど、家族くらい大切なひと」
「わかった!」
喜色満面に跳び上がる少年。
「コーサ・ノストラでしょ? 父さんが言ってた」
自信満々に答えられ、思わず噴き出してしまった。
「なっ――ち、違った?」
かっと頬が紅潮する。くるくると表情の変わる様は見ていて飽きない。
「いいえ、ルキーニ。間違いじゃないわ」
そうだ。それは、たしかに――私の願望でもある。
「あなたが、お父様と同じ道を歩むなら――きっとそれは、大切なことだわ」
*
結局――。
アンジェレッタは大盛りのジェラートを頼むと、ジュリオと共にそれを切り崩しにかかっていた。痩身黒服の美形男女が色とりどりのアイスの山にがっつく姿は、ヘンゼルとグレーテルもかくやというばかり。見ているだけでも胃もたれしそうだ……いかんな、最近ただでさえ炎症気味なのに。
「……よく、食うね」
思わず呟くと、ジュリオがすまなそうにスプーンを置いた。
「すみ、ません……俺たち、だけ……」
「いいって、気にするなよ。俺はチェーナ済ませたばかりなんだ」
「ドルチェは別腹よ」
別腹と言える量をはるかに超えていると思うが――。
突っ込まないことにした。
「ボンドーネ家のエンゲル係数にお悔やみ申し上げる」
アンジェレッタとジュリオが顔を見合わせた。
「これでも、減ったよね……姉さん」
「そうね、お祖父様の無駄遣いもなくなったし……大体、シニョーレ。わたしたちは働くために食べてるわけじゃないわ。食べるために働いてるの」
「あー……はいはい」
正しくイタリアーノだ。
「そう言えば、アンジェレッタ。他の幹部とはもう会ったのか?」
「シニョーレ・カヴァッリ。シニョーレ・グレゴレッティ。それに、あなた。ジュリオは、前任を通さない特例だと聞いたわ。勿論――ボス・デル・サルトとも会っているけど」
「じゃァ、ほとんど会っていることになるな。実は、ジュリオと同時期にもう一人幹部に上がってもらうヤツがいるんだ」
特例中の特例――だ。
GDとの戦争が一段落したこの時期だからこそ、まかり通ったボスのわがまま――とも言える。
「……イヴァン・フィオーレ」
ジュリオが低く呟く。
「イヴァン・フィオーレ? 聞かない名前ね」
「アイリッシュハーフだよ。若手では有力な筆頭株でね、どちらかと言えば商売に強いヤツだ。兵隊も結構持っているし、何より人望がある。ああいうヤツが上にいれば、下の連中の士気も上がる」
「……いい広告塔を見つけたものね」
ルキーノあたりには客寄せパンダだと罵られていたが――この際パンダだろうが火星人だろうが使えるものは使うに限る。
「手を噛まれないように、ね」
「喉笛食いちぎられる前になんとかするよ」
苦笑を返す。
「イヴァンは……そんなこと、しない」
――ビックリした。
俺の視線に、ジュリオは慌てて目を伏せた。
「あいつ……馬鹿、だから……。昔、裏切られて、それで……本当は、信じたいくせに……」
スプーンを口に突っ込みながら、ジュリオが語尾を濁した。
「――そうか。そう、かもな――」
何度かジュリオと組ませてみたが、意外な効果が出たかもしれない。ジュリオにも――イヴァンにも。
アンジェレッタがぴくりと顔を上げる。
陽気な声が背後から降って来た。
「ようよう、皆さんお揃いで――幹部就任の前祝か?」
「ルキーノ……?」
ルキーノ・グレゴレッティ、だった。
ウィンクの大安売りをしつつ、デイバン一の伊達男は俺の隣にどかっと腰掛けた。すかさずボーイが近寄ってくる。
「エスプレッソ」
かしこまりました、と言ってボーイが下がる。
「よッく食うなァ、ジュリオ。食いっぷりのいい男はモテるぜ?」
「……む――」
「おい、なんでこんなところフラフラしてるんだ? 今日は店回りだったろう?」
俺が肘で突くと、ルキーノは気障ったらしく長嘆息を漏らした。
「仕方ねえだろう……財務局に目ェつけられちまってな。俺がいると余計やっかいなことになる」
「まさかお前……しくじったんじゃないだろうな」
「怖いカオするなよ、ベルナルド。俺の部下は俺に似て優秀なんだぜ? あと一時間もすりゃァ、ホワイトカラーがベソかいて出てくって」
エスプレッソのカップが置かれると、どばどばとミルクを注いでから、ぐいっと一飲みして特上の笑みを浮かべる。
「……お前のことは、信頼してるよ」
「なんだその不自然な間は」
むっとした表情を一瞬で消し去ると、ルキーノは――。
アンジェレッタの方に向いた。
「ちょっと、いいか」
アンジェレッタは無言でうなずく。
「シニョリーナを十分ほど借りるが、いいよな?」
俺に向かって確認を取る。実にマメな男だ。
「構わんが――ジュリオは?」
「……姉さんが……いい、なら」
「間違っても手は出すなよ。もしジュリオに殺されたら、花ぐらいは供えてやるが」
「どこのアメリカンジョークだ、そりゃ? だいたい、俺の好みはブロ――」
俺たちが間抜けな会話を交わしている間に、アンジェレッタはさっさと席を立っていた。何というクールなお嬢だ。さすが当主代行。
「――チッ、レディを待たせられねえな。すぐ戻る」
慌ててその後を追うルキーノは珍しく二枚目半に映る。
「ルキーノとは――」
ジュリオとルキーノを組ませたことは、ほとんどない。CR:5のウラとオモテを担っているのだから、二人同時に現場を踏むことなど滅多にないはずだ。
「――よく、話……して、くれます」
「そうだったのか」
あいつ、イタリア系には甘いからな。
「ナイフ……誉めて、くれました。……いいヤツ、です」
はっとなってジュリオが顔を上げる。
「CR:5は、みんな――」
「――グラーツィエ、ジュリオ」
俺は慣れないウィンクなどしてみる。
ジュリオはぎこちなく――どこか恥ずかしそうな笑みを返した。
*
ホテルの玄関前にある螺旋階段を上り、二階へ上がる。右手側にはバルコニーへ出るガラス扉が開かれていた。
先導するルキーノは、苛立ちを極力抑えているようだった。
――それでも。
この男にしては、我慢している方だろう。
「立ち話ですまない」
かぶりを振る。夜風が心地良い。
バルコニーの手すりに背を持たせかけ、ルキーノは思いつめたように瞼を閉ざした。
「……本当に……」
風にかき消されてしまいそうな、弱々しい声音。――この男には、似つかわしくない。
「本当に――リーチェだったのか?」
光の宿る双眸に、うなずき返す。
「部下の、報告よ。わたしは実際に見てない。アリシア・ベスター……そう、名乗っていた」
――クソ、とルキーノが毒づく。
「何者、なの?」
答えを期待した問いではなかったが、ルキーノは苦い笑みを口の端に乗せた。
「リーチェは――アリシアは、俺の親父の愛人だよ。八年前に――死んだ」
――死んだ?
「アリシアの名を騙る、別人?」
「だと、いいんだがな」
含みのある言い方だった。
「……死因は?」
ルキーノはシガーに火を点け、ゆったりと一服した。
「襲撃があってな。親父を庇って死んだ――らしい。親父は重体ですぐにあの世逝きだ。問い質すヒマもなかった」
「死体は?」
ルキーノは力なくうな垂れる。
「ああいう場合、女の死体は無残なモンだ。見なくて済んだのは不幸中の幸いだったと――そん時は思ったさ」
――なかったのか。
もしくは。
もっと――残酷な結末も予想できる。
ルキーノは片手を挙げて、私の思考を制した。
「その頃は、俺もCR:5の構成員だ。それなりに裏街道も探ったし――まあ、思い返せば、リーチェの死体を見つけるためにCR:5に深入りしちまったようなもんだな」
紫煙と共に吐き出された言葉。
「それ――」
ふと。
疑問が脳裏を過ぎった。
「奥さん……知ってるの?」
一児の父は、にやりと笑みを浮かべた。
「まさか。昔の女の話をする男は、嫌われる」
たしかに、浮気はバレずにするのがマナーというものだが――。
いや、待て。
私は何か、大事なことを忘れて――。
「……お父様の愛人、なんでしょう?」
「寝取ったんだよ」
事も無げに、告げる。
「大丈夫。親父が死ぬまでバレなかったし」
――とんだクソガキだな、この伊達男は。
「リーチェは――」
紫煙を燻らせながら、ルキーノは遠くを見ていた。
「俺に、コーサ・ノストラを教えてくれた。大切なひとだ」
「初恋の、相手?」
「そう――だな。最高の女だよ。俺を、最高の男にしてくれた――」
初々しい少年のような顔に、私は思わず溜め息を漏らした。
「――っな、なんだ、アンジェレッタ」
「何でも、ないわ。奥さんと娘さんを大切にね」
「そっ――それとこれとは、関係ないだろう」
まあ、関係はない。言ってみたかっただけだ。
だが。
コーサ・ノストラを理解するような人間が――。
「アリシアは、裏切ったの……?」
「わからん。大西洋の波の泡になってりゃ、まだいいんだがね」
「王子様を殺せなかったものね」
くっとルキーノが自嘲を漏らす。
「裏切り者には死を――それが、コーサ・ノストラのオメルタだわ」
「あんたに言われると、重みが増すな」
「――殺せるの?」
ルキーノはふっと笑みを消し。
靴の裏でシガーを踏みにじった。
「殺すさ。俺は、コーサ・ノストラの男だからな」